the pillowsの『funny bunny』を直視できるようになるまで10年かかった話
この曲を初めて聞いたのは12歳くらいだったかな.
友達に借りた漫画『SKET DANCE』で主人公たちスケット団のメンバーがバンドを組んで曲を演奏して同級生の夢を後押しするというエピソード.
その時に演奏されたのがこの『funny bunny』
漫画の中ではこの曲の歌詞が最初から最後まで丸々引用されて載っていた.
そのあまりに直球な歌詞と,シンプルに前向きで夢を追う人の背中を押すメッセージに心打たれた当時の僕は,1月に3曲までDLして曲を買っていいことになっていたSONYの音源販売サイトで速攻その曲をDLして,WALKMANに入れた.
以降,10年以上に渡り,2台のWALKMAN,3台のスマートフォンを経て,いまだに僕はこの曲を持ち歩き続けている.
しかし,10年以上に渡ってその曲が聴かれることはなかった.
いや,全曲シャッフルしている時にたまたま流れて聴いたことは年に1回くらいあったかもしれない.
だが,意識的にこの曲を聴きたくて再生したことはなかった.
避けていたのだ.
あまりにも直球で,夢を追うことを肯定するこの歌を.
元来,僕は詩的な表現が大好きで,
というか,だからこんなブログ書いてるんだけど,
そんな僕からすれば,出だしの
ほどけてバラバラになったビーズ
綺麗だねって夜空にプレゼント
とか,大好きだし,
ラスサビ前の
目に浮かぶ照れた後ろ姿に
会いたいな
とかも,眼に浮かぶのが後ろ姿だってところが控えめでドストライクなんですけど,
問題はサビ.
君の夢が叶うのは
誰かのおかげじゃないぜ
風の強い日を選んで走ってきた
いや,ほんとに良いこと言うなって,文章としては理解できたんだけど,
心情的には全く理解できなかった.
理由は単純.
僕には,風の強い日を選んで走るような夢など何ひとつなかったからだ.
中学生の時に勉強しなさ過ぎて親に怒られて塾に通わされて,いやいや勉強してるうちに成績上がったから勧められるままに進学校に通い,進学校だったら大したことないだろうと入部した野球部は上下関係ゴリゴリの超体育会系でレギュラーにもなれず,かといって練習漬けの毎日で勉強についていけなくなり,やりたいことがあるわけでもないのに勉強についていけなくなった言い訳のように芸術系の大学に進み,自分はクリエイター系だからこの大学に進むんだぜ決して受験に失敗したんじゃないんだぜ見たいな顔してるけど,結局やりたいことあるわけじゃないからまわりとは話が合わなくて.
みたいな学生だった僕には「夢」という言葉はあまりにもまぶしかった.
夢.
あなたの夢はなんですか?
そう問われて即答できる大人がどれだけいることだろう.
いや,大人じゃなくたって10代の少年少女だとして「夢」という言葉に正面から目をそらさずににらみ返せる人間がどれだけいることだろうか.
それはひとえに「夢」という言葉に壮大な何かを期待されているのではないかといことが原因なのでしょう.
火影になりたいとか海賊王に俺はなるとかそういう壮大な何か.
「夢」という言葉には,そういったでっかい野望的なニュアンスがどうしても必要なんじゃないかという気分にさせられる.
でも,別に「夢」なんて大それていなくてもいいんだって気がつくのに僕は10年かかってしまった.
毎日浴びるほど酒が飲みてえでも,夕陽を眺めながら好きな音楽聴いて煙草吸ってぼーっとしてればいいやでも,とにかく異性にモテまくりたいでもなんでもよくてさ.
どう生きたいかっていうだけの話でしかなくてさ.
何か成さなくたって,何者かにならなくたっていいから,自分は何をしてれば楽しいのかがわかっていればそれでいいんだなっていうことを理解できてればいいんじゃないでしょうか.
飛べなくても不安じゃない
地面は続いてるんだ
好きな場所へ行こう
君ならそれができる
ここがこの歌の一番大事なところ何だと思います.